【連載】ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- 第十二回「本当にそれは、ゲームに必要か?」


 
ディー・エヌ・エー(DeNA)<2432>の馬場保仁氏が、ゲーム業界の人材・採用に関して語っていく連載記事「ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN-」。現在同氏は、DeNAのスマホアプリ開発のプロデューサーを担うほか、人事・採用担当も兼任している。開発現場・採用担当、双方の視点からゲーム業界における“人”に対してスポットをあてた連載記事。

 

■第十二回「本当にそれは、ゲームに必要か?」


 
今回は、少し、人材というよりも、ゲーム自身についてお話したいと思います。

前回(関連記事)、ハッカソンの功罪について語った時に、
 
・ハッカソンから、得られること
・ハッカソンでは、得られないこと
 
を分類分けして書かせていただきました。
ハッカソンに限らず、この1年くらい全国をまわり、数多くの学生さんとお話したり、企画・作品を拝見させていただいたり、ゲームコンテストの審査をしてきた時に、たびたび感じる「」がありました

これは、学校でそう教わっているのか? それとも、学生さんたちが自分で考えた時に、そういった考えにたどり着いているのか? いずれにせよ、どこかのタイミングでそれはちゃんとした意見として明らかにしないといけないな…と思いました。
 
たいていの場合、プロの目から見たコメントがほしいと色々な学校で言われますので、忌憚のない意見を述べさせてはいただくのですが、学生さんからしても、全国いろんな会社からくるクリエイターたちがわたしも含め、好き勝手にコメントをするでしょうから、
 
なにが正解か?

を汲み取る余裕がないかもしれません。

実際問題として、プロになっても社内で、チームの仲間や、先輩、上司、経営陣からも好き勝手なことを言われることが、ままあります(笑)。これまでに、活人研の「第一原理 その2」
 
素直であること (他者の指摘をいったん受け入れる余裕、客観性)
 
をあげていました。が、決して、この「素直」はYESマンであることではない、という話をしました。いったん、意見やアイデアは謙虚に拝聴するけれども、それを実際に実装するかどうか? は別問題である、ということです。

外圧に屈しない強い意思
 
が大事である、というのは、CEDECで講演されたり、座芸夢でも講義をしていただいている、塩川洋介さんもおっしゃっています。繰り返しますが、塩川さんもわたしも、すべてを突っぱねろと言っているわけではありません。このゲームに必要でないものは、誰が言ったかが大事なのではなく、何を主とするか? を考えた上で判断しなくてはいけないという話をしているのです。先日、ある専門学校さんで、この第一原理についてお話したところ、
 
「そんなのゲームに限らず当たり前なのに、なんで、あらたまってそれを抽出してるのですか?」
 
という良い質問をされました。そうなんです、この字面だけを切り取ってしまうと、非常に「コロンブスの卵」的に、あたりまえのようにみえてしまうのです(言うなれば、わたしの説明能力不足なのですが(苦笑))。

ですが、ポイントは、
 
・正解のない「ゲーム」というコンテンツを意思持ってつくっている
・その中で、多様な価値観は受け止めないといけないが、核たる部分は、譲ってはいけない

 
このバランスが大事になるんです。聞きすぎてもダメ、聞かなすぎてもダメ、意思を持って行動しなくてはいけない、正解が定まってないので、いくらでも搦手から攻め込まれることはあるが、諦めないで本丸は死守しなくてはいけないし、同時に、自分たちの城郭は、こういう形で、こういう機能で、だから意味がある! と言い切るだけのロジックと意思が併存しなくてはいけないし…と、ややほかのものをつくるときに比べると、難儀なことが多いのです。
 
なので、諦めないでほしいけれど、プロの話も素直に受け止めて欲しい、と思うので、わたしは、いろんな学校さんにお伺いした時には、まずは、意見・感想を言う前に、
 
・そもそも、どうしたかったのか?
・このゲームをつくった、企画をつくった人は、なにを、どこを、面白いとおもっているのか?
 
を質問するところからスタートします。
なので、実際に学生さんとお話をする時には、
 
「このゲームの面白いところ(こだわり)は、どこですか?」
 
と、問います。面白さ、こだわり、コンセプトなどをちゃんと聞き出して、彼らの軸を知ってから、「どこから意見をいうべきか?」を考えるということですね。
 
これは学生さんに限りませんが、会社で仕事として話をしていても、気をつけないと議論があっちこっちにとっ散らかります。

これは、
 
・話の優先度、核となるところを見定めずに皆が話している
・そもそも課題はなにで、なにを解決しないといけないのか?
 
が、はっきりしていれば、各論ばかりに話がおよび会議が踊るということもないはずなのです。ですが、目的志向にならず、議論していることや、指摘するという手段自体が目的になってしまうことも多いのです。なので、最初に「何が大事か?」を定め、合意した上で、意見をいう、話をする、でなくてはいけないと考えています。

案外、字面にあらわすとシンプルなことなのですが、これを意思を持って毎回、しっかりやりきるのは難易度がかなり高いです。かく言うわたしも、つい慌てたり、感情が高ぶることで仕事において各論に熱中してしまう時があります。時間を無駄にしないためにも、かなり気をつけたいことです。
 
さて、話は戻りますが、「このゲームの面白いところ(こだわり)は、どこですか?」と問うと、大学だろうが、専門学校だろうが、講演後の質問だろうが、コンテストの評価後であろうが、本当にいろんなところで、回答としていただく要素があります。それは、
 
・コレクション要素があるので面白い
・ランキングがあるので、何度もプレイできて面白い
・SNS連携があるので、面白い

 
の3つです。「逆・三種の神器」とでもいいましょうか(笑)

あとは、ここに、
 
・課金要素も考えています
・単純操作で、面白いです
 
が加わることも多いです。
 

「ものを集めたくなる」というのは、たしかに人間の嗜好性としてあるものだとは思います。

ただ、で、あるならば、このコレクションすること「も」ではなく、コレクションすること「が」面白いゲームをつくるべきなのです。繰り返しますが、ものを集めること、空いているところを満たしたくなる欲求は、少なからずあります。でも、

「なぜ、集めるのか?」「集めなくてはいけないのか?」「集めたいのか?」
 
は、集めること自体が面白いだけではなく(それはあるものの、わずか)、そのことによってゲームの進行が楽しくなったり、有利になることがあるからだと思います。なので、単なる集めるではなく、図鑑形式で、特定カテゴリーやシリーズがコンプリートしたら、別途報酬をゲームから提供するものが昔から多いのも、「あと1つ」なにかを足して、単なる集めるだけを目的としないようにしているからです。
 
でも、それでもまだ「脇役」もいいところです。集めることが楽しいならば、それをど真ん中においたゲームを企画して欲しいのです。つまりは、そのゲームにおいて、「なくてはならない、モチベーションを喚起するゲームエンジン」であれば問題ないのです。ともすれば、とってつけたようなものは、それ自体はなくてもゲームが成立してしまうものが多いです。いや、それどころか、そもそもゲームエンジンがないので、ほかのエンジンで且つ、比較的既視感高く皆がやること、目的をイメージしやすいものとして、コレクションが登場することが多いです。
 
つまり、自分たちが考えたものだけでは、いまひとつ自信がないときに、まっさきに呼び出されるのが、これら、逆・三種の神器で、コレクション要素はその筆頭だということですね。
 
いまの20代の皆さんの多くは、『ポケットモンスター』を子どもの頃に遊んできていると思います。なので、集める楽しさは、身を持って知っていると思います。そして、単なるRPGではなく、先に進むためにも、モンスターを集めて仲間にしなくてはいけないですし、且つ、好みのモンスターを集めるには、各地に冒険しなくてはいけないのも、集める行為が中心に据えられているからですね。

その分、他のゲームエンジンは比較的既視感高い日本的RPGの方式にのっけてゲームがつくられている、ということだと思います。ただ、それを楽しんでいただくために、圧倒的な物量を投入し、1つ1つのクオリティも高い次元で保証しているわけですね。

なので、『ポケモン』を表層的に真似ると、質・量ともに足りず、うすっぺらいものになりかねないわけです。自身の原体験のゲームからインスパイアされて、そのオマージュをつくるというのは、わからなくはないですが、どんなゲームにも付属できるギミックをゲームの中心に据えるには、相当の覚悟と質・量が必要であることを認識してください。
 
次に、ランキングは、
 
二回目以降のプレイモチベーションを喚起するために、何か考えていますか?
 
とお聞きすると、よく出てくるギミックです。前回よりうまくプレイしたい、他人よりよい結果になりたい、というのは、たしかに人間の基本的な志向にないとは言いません。でも、そもそも、ゲームエンジンが面白くなければ、もう一回やろうとは思わないですよね? ランキングがあるから面白い、はコレクション要素があるから面白いよりも更にど真ん中の面白さから、遠い、端っこのギミックです。

例えば、ただただ、真っ暗な画面に真ん中に白い点が1つ表示される、それを、1000回、同じタイミング、同じ時間だけ表示される(例:一度表示されたら5秒表示され、5秒後消えるか、タップされたら消える。消えたあと、3秒後にまた、表示される)ようなルールであったら、果たして、1回目のプレイが948回成功だったから、2回目は、それ以上目指してやろう! と思うでしょうか?(いないとは限りませんがw)

ランキングがあるから面白くなるなら、基本のゲームエンジンが単純に作業的でもある程度面白くなるはずなんです。

でも、そうはならない(笑)やはり、ゲームのセンターに面白いエンジンがないと(もしくはそれらをとっぱらった設定やストーリーがないと。でも、もちろん、設定やストーリーだけで継続するなら、おそらくそれは「ゲーム」でなくてもよくなるという別の課題がありますけれど…)2回目はとてもではないがプレイしてもらえないと思います。

このように、多くのプロからすると、
 
「それは端っこのギミックだよ」
「どのゲームエンジンにも関連付けられるギミックでしかない」
 
としか思えないものを、それがあるから面白いんです!と話していることはかなり、リスクしかないことがわかります。


また、プロも「それはおかしくないかな?」と全員が全員指摘してくれるとも限りません。やはり、コンセプトがあり、どういう感情をもってほしいから、実現するためのシステムがあり、そして、それが実装時にギミック化される、わけです。企画を、アイデアを考えるとき、「なぜ、それが面白いのか?」と真剣にむきあって考えること、それこそが一番大事なことで、且つ、それを他者にぶつけて批評してもらうこと、これが成長につながることだと思います。
 
自分が必死に考えて、ひねり出したことを、世の中の評価を受け、振り返り期日を決めて、NextActionを起こすこと
 
これは、活人研では何度もお話してきたと思います。自身を成長させ、高めていくためにも、「必死に考える」ことから、まずは始めることが大事かと思います。どれだけ体裁をとりつくろっても、プロは一瞬で本質を見抜きます。考えに考えて、考え抜いたもので、意見交換できるように採用試験で企画を提出するときなどは、考えていきましょう!
 
「本当にそれは、必要なことか?」
「逆・三種の神器は気をつけて使おう」

 
これが今回のメッセージです!
以上
 


■著者 : 馬場保仁
DeNA プロデューサー 兼 採用担当。過去、セガ(当時 セガ・エンタープライゼス)で『プロ野球チームをつくろう!』『Jリーグプロサッカークラブをつくろう!』など多数のゲーム開発に従事。DeNA入社後は、スマホアプリの開発にプロデューサーとして従事。現在は、プロデューサーとしてゲーム開発を行うと同時に、人事も兼任し、ゲーム業界の人材育成のためにも尽力している。著書に「ゲームの教科書」(ちくまプリマー新書)がある。


■ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- バックナンバー

第十一回「ハッカソンの功罪」

第十回「会社選びと成長(プロ、アマ問わず)」

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第三回「若手のチャンスとキャリアパス」

第二回「企業×学校×学生」

第一回「ゲーム業界って本当に人手不足なの?」